島の基本情報
所在地 | 所属諸島 | 面積 | 周囲 | 標高 | 人口 |
東京都青ヶ島村 | 伊豆諸島 | 5.96㎢ | 9.4㎞ | 423m(大凸部) | 163人 |
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世界的にも珍しい二重カルデラの壮大な景色。
2014年米国のOne Green Planet「死ぬまでに見るべき世界の絶景」に選出された。
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青ヶ島は写真のように断崖絶壁に囲われているため漁業以外が発展している、島には珍しく農業、工業、観光業が独自に発展していったようだ、唯一無二の小さなコミュニティが出来たことにロマンを感じ一度隅々まで探索してみたいと思える島だ。
青ヶ島の生活や歴史
人口163人の日本で最も人口が少ない自治体である。
断崖絶壁に囲まれたこの島にいつ誰が住み始めたのか、調べてもはっきりした記述を発見することは出来ませんでした
150世紀頃の資料では海難事故などの資料をいくつか見る事が出来ました、もしかすると事故などでたまたま流れついた人達が島を開墾して現在の形になったと考えても不思議ではありません
流れ着いた先が無人島で開拓していく、まさにロマンですよね。
上で記載している通り天然の要塞のような地形をしているため漁業以外の農業・工業・観光業などが独自に発展したと考えられ、火山と生きる島ならではの食文化や考え方などが発展した、例えば「ひんぎゃ」と呼ばれる地熱で熱せられた水蒸気が噴き出している穴がいくつもあります、昔電気や物資の乏しかった時代には島民たちの暖房や窯として調理にも使われていたようです。
このように火山の恩恵を受けているのだがいいことばかりではない。
1780年(安永9年)に島では地震が頻発するようになり池の水の急激な温度上昇など噴火の前触れが確認された、翌1781年(天明元年)に噴火が起き、1783年(天明3年)には大地震と大噴火が起こり島内の家屋61戸が焼失し7人の死者が出た。
そして1785年(天明5年)4月~5月まで約1カ月に及ぶ大噴火が起きた、島民の202人約6割が島を脱出し八丈島に避難した、しかし約130人の人達が避難が間に合わず命を落としたと言われている。
火山活動がひとまず落ち着いた後、1801年(享和元年)まで実地調査のため島民の中から数名が生活していたようだ、亡くなった島民達の供養等をしていたのかもしれない
その後最後まで残っていた7名が島を引き上げてから、約40年間もの間無人島となった。
名主だった佐々木次郎太夫が島民達の先頭に立ち、ふるさと青ヶ島の復興と島民全員がふるさとに帰る事を目指した、そして1835年(天保6年)約半世紀後ついに全島民の帰還を果たした、この島への歴史的な帰還は『還住』と呼ばれてる
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